【幻の米 神力】
神力とは、明治10年ごろより戦前まで西日本で広く栽培されていたお米です。神力の特徴は、玄米は中粒、穂数が多く収穫性に優れていることでした。瞬く間に西日本全土に広がり、明治の末期には全国の水稲作付け面積の5分の1を占めるほど一世を風靡しました。当時、他の品種と比べ抜群に優れていたことから、神から賜ったと言い伝えられているお米です。酒造り用に生産されている現在のお米の多くは、神力を祖としています。戦後、品種改良が重ねられ純系の多くは姿を消してゆき、また早場米奨励金などの政策もあって晩稲の神力を栽培する農家は減って行きました。
【人気の酒米 天津神力】
西岡河村酒造のある福井県丹生郡清水町(旧天津村)では神力が大正時代から熱心に作られていました。神力のなかでも天津村の神力は特に評判が良く、当時の酒造りの杜氏たちに絶賛されており、蔵人らの間で「天津神力(あまつしんりき)」として尊ばれていたということです。
なんとか あの味をもう一度と、町内の農家の方が、数年前より神力の種もみを探し続け、ようやく発見した種もみを大切に大切に増やしてこられました。背丈が高く刈り入れが遅いため(10月10日頃)倒伏しやすく育てにくいお米ですが、その分太陽の光を充分に受け地面からの栄養もしっかりと含んだとてもおいしいお米が復活しました。
【天津神力 復活の経緯】
天津神力復活最初のきっかけは、林瀬治さんが福井食糧事務所に勤めていたころ、年配の蔵元や杜氏から住まいを聞かれ、清水町旧天津村と答えると必ずといってよいほど「天津神力を知っているか」と尋ねられた経験です。天津村の神力を確保するため当時の蔵元・杜氏は奔走していたと聞き、それほど珍重され優良だったお米を再び作れないかと、横井杜氏と話をしているなかで 天津神力復活が始まったのです。
[平成8年]
貴重な神力の種もみを竹内組合長がようやく発見
[平成9年]
280gを5aで試験栽培 清水町在田 林瀬治さん(元福 井食 糧事務所福井支所長)を中心に、在田集落活性化委員会で神力復活栽培を目標に掲げ、有志数名で栽培60kgの収穫
[平成10年]
1.5haに拡大 120俵、7200kgの収穫
<天津神力 復活に携わった人々>(敬称略)
JA福井清水町組合長 竹内国臣
福井パールライス鞄m氏 横井徳蔵
元福井食糧事務所福井支所長 林瀬治 他地元農家有志
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